06月04日付 朝日新聞の報道「近所の女、死体遺棄容疑で逮捕へ 秋田小1殺害事件」へのコメント:
この事件が起きた時、インタビューを受けている彩香ちゃんのお母さんのコメントを聴いていて何となく違和感を感じた。
何が明確におかしいと指摘できるわけでもなく直感。
旦那君や実家の母に、犯人かもねと言ったら、
そんなことないでしょと笑われながらも、
やっぱり、犯人だった。
自分の子供を事故か事件かわからない形で亡くしたばかりで、
自分の子供と仲良かった子が事件に巻き込まれて亡くなったとしたら、あんな風にインタビューでコメントすることが出来るだろうか。
亡くなった子のことを親しかった知人が語れば語るほど、
遺族の傷を抉ることになるのはわかっているのに。
警察に対する証言であれば、
それは一市民としての義務であるから当たり前だけど。
ましてや、こどもを亡くして間もないのなら、
自分のことと重ねて思い出して普通ではいられない。
私なら、きっとそう。
自分の子を失い、
またこどもの命が失われる事件が目の前で起きたとしたら。
自分のことでなくてもおかしくなってしまうかもしれない。
僅か80mほどの距離で行方不明になった豪憲君。
田舎で住民以外の人間がいたら目立つということや
その他の条件を考えたら、
顔見知り、しかも豪憲君が警戒する必要のないほど、
身近な人間が犯人であるのは間違いない。
殺害が行方不明になった直後であるなら、
行方不明になった場所のすぐ近くで殺害された可能性があり、
車の中での殺害は目撃される可能性があるため、
室内である可能性が高い。
通り道にあるのは、水死した彩香ちゃんの自宅と隣家の一軒。
推理でも何でもなくて、条件による消去法。
「豪憲君、ちょっと家に寄っていって。彩香にお線香上げてって」
とでも言ったんだろうか。
彩香ちゃんの死の謎と、豪憲君殺害の動機。
それが何であれ、許されざる行いであるのは間違いない。
自分の子供が亡くなったのが悲しくて他人の幸せを妬んでだとか、
自分の子供の死の謎を解明して欲しくてだとか、
子供が一人では可哀想だから道連れにしたのだとか、
そんな憶測が飛んでいるけれど、
どんな理由であれ、私には容疑者の心情など理解できない。
この事件が起きた時、インタビューを受けている彩香ちゃんのお母さんのコメントを聴いていて何となく違和感を感じた。
何が明確におかしいと指摘できるわけでもなく直感。
旦那君や実家の母に、犯人かもねと言ったら、
そんなことないでしょと笑われながらも、
やっぱり、犯人だった。
自分の子供を事故か事件かわからない形で亡くしたばかりで、
自分の子供と仲良かった子が事件に巻き込まれて亡くなったとしたら、あんな風にインタビューでコメントすることが出来るだろうか。
亡くなった子のことを親しかった知人が語れば語るほど、
遺族の傷を抉ることになるのはわかっているのに。
警察に対する証言であれば、
それは一市民としての義務であるから当たり前だけど。
ましてや、こどもを亡くして間もないのなら、
自分のことと重ねて思い出して普通ではいられない。
私なら、きっとそう。
自分の子を失い、
またこどもの命が失われる事件が目の前で起きたとしたら。
自分のことでなくてもおかしくなってしまうかもしれない。
僅か80mほどの距離で行方不明になった豪憲君。
田舎で住民以外の人間がいたら目立つということや
その他の条件を考えたら、
顔見知り、しかも豪憲君が警戒する必要のないほど、
身近な人間が犯人であるのは間違いない。
殺害が行方不明になった直後であるなら、
行方不明になった場所のすぐ近くで殺害された可能性があり、
車の中での殺害は目撃される可能性があるため、
室内である可能性が高い。
通り道にあるのは、水死した彩香ちゃんの自宅と隣家の一軒。
推理でも何でもなくて、条件による消去法。
「豪憲君、ちょっと家に寄っていって。彩香にお線香上げてって」
とでも言ったんだろうか。
彩香ちゃんの死の謎と、豪憲君殺害の動機。
それが何であれ、許されざる行いであるのは間違いない。
自分の子供が亡くなったのが悲しくて他人の幸せを妬んでだとか、
自分の子供の死の謎を解明して欲しくてだとか、
子供が一人では可哀想だから道連れにしたのだとか、
そんな憶測が飛んでいるけれど、
どんな理由であれ、私には容疑者の心情など理解できない。
コメント
コメントありがとうございます。
理由が何であれ、亡くなったこどもたちが一番悲しい。
彩香ちゃんは、精神的にお母さんを支え守っていたような感じの子ですよね。容疑者は依存していたような。。。
彩香ちゃんの死に容疑者が関係しているような気もします。
彩香ちゃんへの愛情と喪った哀しみのあまり、というより、
彼女の中には自分への愛、非常に身勝手な自己愛しか私には感じられないのです。平塚の事件の容疑者といい。。。
子を亡くす悲しみはわかりますが、納得するも何もなく、事実は事実として受け入れてそれでも生きていくしかないのです。それを納得するというのであれば、そうなのかもしれませんが。