幸せの形。シアワセノカタチ。
2004年9月24日 日常電話で話をしていた大学の友達に、来年の結婚式のパーティーの話をしていたら昔の話になった。「あれを乗り越えてきた二人なんだから、絶対幸せにならなきゃ駄目。じゃなきゃそんな世の中間違ってる。私許さないからね!」と言われた。
2年半付き合った前の彼と別れた時。
この世の中に何一つとして変わらないものは無い。
それが私の考え方だった。相手を信じて裏切られるくらいなら最初から信じなければいい。信じて裏切られたというのは甘い証拠。信じてなければ何されたった痛くも痒くもない。ただその程度のものだったのだと言って切り捨てていけば楽。信じていない相手が消えたところで私にとってはどうでもいいことだった。そこらへんの石が無くなったのとさして変わらないことだった。信じていないってことは最初から必要としていないことと同じだったから。
でもそういう考え方でいるのはとてもしんどい。
本当に何一つ変わらないものは無いんだろうか?
だったら変わらないものをあると証明すればいい。
だから、次に誰かと付き合うのなら誰よりも何よりも大切にしようと思った。その人が願うのならずっと傍にいようと思った。どんなに辛くても悲しくても諦めないでいようと思った。そして心から愛せる人と巡り逢いたいって願った。
そして彼と出逢った。
2年目にあれが起きた。彼と一緒にいることを諦めようと考えた。心底自分なんて死んでしまえばいいのにって思った。一番憎くて嫌いなものは自分だった。それでも変わらずに彼も友達も傍にいてくれた。
そして私は今の私になって、今月で彼と出逢って5年目になる。
好きな事を仕事にしている。
愛する人がいて来年結婚する。
喧嘩しつつも家族がいる。
両親に、生意気で可愛い妹、甘えん坊の太郎。
田舎の祖父母、従姉妹、親戚。
大好きで大切な友達がいる。
何かを通して知り合った仲間たちがいる。
幸せは幸せだと思う。
だけど、と思う自分がいる。
あの時あの選択をしていなかったら、今とは違ったシアワセノカタチがあったんじゃないのかなって。彼と私のもう一つのシアワセノカタチが。
もう一つのシアワセノカタチ。
それがどんなものだったかなんて今の私にはわからない。
シアワセになれたのかもわからないけれど。
ただこの時期になると、無性に寂しくて悲しくなる。
泣きたい気持ちになる。この幸せが何を犠牲にして成り立っているのかを思い出すから泣きたくなる。幸せだと思うのと同時に同じくらい悲しいって思っている。本当は。
シアワセノカタチはひとつじゃない。
今のこれもシアワセノカタチのひとつ。
手に入らない過去のシアワセノカタチに囚われるのはもうやめよう。
過去の私にも未来の私にも、恥じる必要の無い私でいよう。
2年半付き合った前の彼と別れた時。
この世の中に何一つとして変わらないものは無い。
それが私の考え方だった。相手を信じて裏切られるくらいなら最初から信じなければいい。信じて裏切られたというのは甘い証拠。信じてなければ何されたった痛くも痒くもない。ただその程度のものだったのだと言って切り捨てていけば楽。信じていない相手が消えたところで私にとってはどうでもいいことだった。そこらへんの石が無くなったのとさして変わらないことだった。信じていないってことは最初から必要としていないことと同じだったから。
でもそういう考え方でいるのはとてもしんどい。
本当に何一つ変わらないものは無いんだろうか?
だったら変わらないものをあると証明すればいい。
だから、次に誰かと付き合うのなら誰よりも何よりも大切にしようと思った。その人が願うのならずっと傍にいようと思った。どんなに辛くても悲しくても諦めないでいようと思った。そして心から愛せる人と巡り逢いたいって願った。
そして彼と出逢った。
2年目にあれが起きた。彼と一緒にいることを諦めようと考えた。心底自分なんて死んでしまえばいいのにって思った。一番憎くて嫌いなものは自分だった。それでも変わらずに彼も友達も傍にいてくれた。
そして私は今の私になって、今月で彼と出逢って5年目になる。
好きな事を仕事にしている。
愛する人がいて来年結婚する。
喧嘩しつつも家族がいる。
両親に、生意気で可愛い妹、甘えん坊の太郎。
田舎の祖父母、従姉妹、親戚。
大好きで大切な友達がいる。
何かを通して知り合った仲間たちがいる。
幸せは幸せだと思う。
だけど、と思う自分がいる。
あの時あの選択をしていなかったら、今とは違ったシアワセノカタチがあったんじゃないのかなって。彼と私のもう一つのシアワセノカタチが。
もう一つのシアワセノカタチ。
それがどんなものだったかなんて今の私にはわからない。
シアワセになれたのかもわからないけれど。
ただこの時期になると、無性に寂しくて悲しくなる。
泣きたい気持ちになる。この幸せが何を犠牲にして成り立っているのかを思い出すから泣きたくなる。幸せだと思うのと同時に同じくらい悲しいって思っている。本当は。
シアワセノカタチはひとつじゃない。
今のこれもシアワセノカタチのひとつ。
手に入らない過去のシアワセノカタチに囚われるのはもうやめよう。
過去の私にも未来の私にも、恥じる必要の無い私でいよう。
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