昨今、コーチングが人気だけど・・・・・・コーチングと似たことって普段の生活の中であるような気がする。

たとえば、職場の人との会話、友達との会話、家族との会話、恋人との会話。割と身近なところに昔からあるもののような気がするんだけど、どうだろう?

コトバのキャッチボールをしていれば、そこに普遍的に宿るものではないのかしら?

ただそれをコーチングという名をつけて呼んでいるだけで、本質は変わらないんじゃないかな。

そんなことをふと思った。

私はコーチングをあえて必要とは感じない。

それは何故だろう?

コーチングを受けなくても自分の考えがまとまるから。

本当に考えがいつもきちっとまとまるのか?

まとまらない時も勿論ある。ただし、迷ったとしたら周囲にいるたくさんの人たちに話をして意見を聴くから。それを繰り返して自分の考えをまとめるから。

あえて、コーチングのコーチにコーチングして貰わなくても、周囲にいる全ての人たちが私にとってはコーチであるから。

ちょっと前にコーチングを始めた人に、コーチングしてあげるよと言われたので試しに受けてみたけれど、結局、私の話はほとんどせずにその人自身の心の話になった。

その人はセミナーに行ったり結構勉強をしたらしいが、私の反応が自分がシュミレーションしていたものとは、他の人とは違ったらしく非常に困った顔をしていた。

アヤちゃんはコーチングの余地が無いから困る、と言われた。

うーん。そんなことを言われても。。。

でも悩んだり迷ったりしないわけではないんだけどね。

結局、その人の家庭環境、生い立ち、コーチングに興味を持つきっかけとコーチングを必要とした理由を聞くことになった。なんでだか、流れで。

最後に逆にコーチングして貰ちゃったね、と言われた。
そんなつもりはない。コーチングの方法なんてわからないし。
知りたかったから聴いただけ。ただそれだけ。
なんでこの人は私や他の人のことをコーチングしたがるんだろうか?って。自分とは違うから、その差を知りたかった。

私は難しいことは分からない。コーチングの理論とか実践とか。

分かるのは自分について一番良く知っているのは自分しかいないし、他人にわかるものではないということ。自分がどうするのかどうしていくのかということは外にあるのではなくて、常に自分の中に存在するということだけ。

コーチングって本当は身近なところに存在していて、そこから学んでいくものではないのだろうか。

今日の日記。特に何も無くいつもと同じ。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

日記内を検索