心の闇

2004年5月15日 読書
アメリカ軍によるイラク人捕虜の虐待の写真を見ると思い出すことがある。

ナチによるゲシュタポの写真。
中世ヨーロッパの魔女狩りやサバトをモチーフにした絵。
そして日本のキリスト教徒弾圧の絵。戦時中の日本軍による虐待の絵。

間違いなく似ている。

人種を問わず根源的残虐性というものは変わらないものかもしれない。

小学校1年の時、たまたまゲシュタポの写真を見てしまった時に、気持ち悪くて吐いた。あの頃はそれが何なのかはわからなかったけれど、子供心にこれは善くないものだと感じた。
たくさんの人が裸で、男女関係なく、年齢関係なく、地面の上に無造作に積み上げられていた。そんな写真だった。

昔は怖いと思う気持ちだけだったけれど、今は何故こんなことをするんだという悲しいと思う気持ちと怒りを感じる。

イラク人捕虜虐待の報復で米国人男性が殺害された。

ニックバーグさんの映像はとても残虐で正視できるものではないという。私にそれを見る勇気はない。ただ見た人からの話を聞いただけだ。
ニックバーグさん自身がイラク人に対して虐待したわけではないのに、殺された。殺された人のこともそうだが、その殺害されるシーンを全世界へ晒しものにされていると思うと、家族はどんな思いをしているのだろうか。

でもそれはあの虐待をされていたイラク人捕虜の家族だって同じことなのだろう。

どうしたらこういったことが無くなるのだろう。

自分が他人にされて嫌なことは他人にしてはいけません。
相手の立場になって考えてみなさい。

小さい頃、大人から言われたことがある言葉だとは思うが、これほど本質的な解決策を示している言葉はないと思う。ではその言葉を子供たちに教えている大人たち自身はどうなのだろうか。

アメリカ軍の行いやアルカイダの行いを非難することは簡単だけれど、私たち自身、同じ行いを絶対しないという保証はどこにもない。
これは飽くまでも私個人の考えだけれど、人は心の闇に落ちようと思えば際限なく落ちていける生き物なのだと思う。私も、これを読んでいるあなたもきっとそう。
そのかわり、心の闇に落ちないでいようと思えば落ちずにいることのできる生き物でもあると思う。そう信じていたい。

今いる子供たちとこれから生まれてくる子供たちが育っていく世界にはできるだけこういったことが少なくなっていて欲しい。辛いとか苦しいとか悲しいとかで流れる涙が少しでも減るように。

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